プロパガンダ声明文
まずは楽曲を聴き、この文章に興味を持ってもらったことに対して感謝の言葉を。
今回私は作り手、そして聞き手、さらにはボーカロイド音楽文化の担い手すべての人たちに疑問を投げかけるべくこの曲を発表した。
私はこの楽曲を通して特定の楽曲、特定の製作者およびその他すべてを否定したり貶める意図を持っていないことを、先に断っておく。
また、過激な表現がなされている部分があったかと思うが、より多くの人に興味を持ってもらうためである。そこはご理解いただきたい。
私がこの曲を作り、この文章を発表したのは今のボーカロイド楽曲を取り巻く環境の中にどこか思考停止をしている側面があるのではないかと思ったからである。その最もわかりやすく、端的な例として中毒的な楽曲の流行を取り上げ、主に視聴者に問いかける形をとり、自分の意見の主張に使わせていただいた。
思考停止ぎみになることで中毒性のあるもの、刺激的なものを追い求める風潮がずっと続いているように見えるからである。
一日にかなりの数の曲が投稿されている中であれば、よりわかりやすいもの、より刺激的なもの、また、それまでにより多くの人に知ってもらうための努力をした人の作品がより多くの人の支持を得ることが多い。至極当然なことである。
しかし、無批判にそれだけを追い求めてしまえば、それは文化の可能性を狭めることになるのではないだろうか。
もちろん個人の音楽的嗜好や歌詞の嗜好がかかわってくる問題なのでこの考えを強要したいとは思わない。端的な思考停止の例としてその傾向を批判したのである。ここで一番考えてほしいのは中毒的な楽曲の是非ではない。"思考停止状態になってはいないか?"ということである。
今回の楽曲が、もし中毒的な楽曲を否定するだけ物であったとするなら、まず先にこの楽曲が否定されるべきである。今回は中毒的な楽曲の特徴を多く取り入れた曲となっているからだ。映像に関しても中毒的な楽曲で多く使われる手法をあえて使用してもらった。
それに加え、タイトルや歌詞からわかってもらえるかと思うがプロパガンダとは『特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為である。』(Wikipediaより引用)
そこで一瞬考える人であればそのことに気がつくはずである。
もし、今回の楽曲の中で言われている事を無批判に、文字通り、に受け入れている人がいるなら、その人にはこの楽曲をもう一度よく聴いてほしい。
今回自分が批判しているのはそのような姿勢なのだから。
この曲は多くの人が表面だけで言葉を捉えて真意を理解してくれないであろう。
そして、それが原因でたくさんの批判が寄せられるだろう。
大変結構なことである。
なぜならそれでもそれぞれがその表面上の意見に対して反対意見を持った、ということによって思考停止に対して一石を投じるという最低限の目標を達成しているからである。
そして同時に反応の中にどれほど表面しか見ていない人が多いかを見てほしいと思う。
また思考停止気味になっているのは作曲者や創作者、聞き手に限った話ではない。
文化の"利用者"の方々にも同じ言葉を言わせてもらいたい。
そして、それぞれがそれぞれの考えを持って作品を制作し、作品を鑑賞し、作品を扱っていく。それがさらなるボーカロイド楽曲の発展につながると信じている。
この考え方も思考停止である、と思う人もいるだろうが私の思考の結果としてここに声明文を記させていただいた。
この文章もそれぞれの考えをもって読まれることを祈って。
2012年 3月1日 カラスヤサボウ
(3月4日加筆・3月6日公開)
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